2015年12月10日木曜日

SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2015“Journey of a Songwriter”

21歳の2月、僕は日光でアイススケートの合宿に参加していた。くじ運が悪かったため、大学の体育の授業がみんなから嫌われている合宿しか取れなかったためだ。

J.BOY

オリンピック選手も練習するらしい立派なスケートリンクでは、その前年に発売された浜田省吾のアルバム「J.BOY」の曲がヘビロテのようにずっとかかっていた。AMERICA、BIG BOY BLUES、想い出のファイヤー・ストーム。

5日間の合宿中、他にかける音楽は無いのだろうかと思うほど浜田省吾一色だった。もしかしたら、担当者が熱狂的なファンだったのかもしれない。

FATHER’S SON

合宿から帰ってくると、自宅に父はいなかった。

約1年前から闘病中だった父は容体が悪化し、入院していた。この1年何度も父を送った病院に駆けつけてみると、意外にも父は元気そうだった。合宿のことを話したりしていて、少し安心して帰宅した次の日から父の容態は悪化し、その後1週間で帰らぬ人となった。

父は僕がバンド活動をするのをあまり快く思っていなかったので、あまり音楽の話をしたことは無い。だが、病院に向かう車の中で、カーステレオから流れてきた「A NEW STYLE WAR」を聞き、これは誰の曲だとだけ聞いてきたことがあった。


SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2015“Journey of a Songwriter”は浜田省吾の3年振りのコンサートツアーだ。オリジナルアルバムを出した後のコンサートとしては10年振りらしい。

今夜のNHKホールのステージの上の彼はひたすらイカしてた。

最新アルバム「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」からの曲を中心に、初期の曲も混ぜて(まだツアー中なので、セトリなどは明かさないようにする)。僕が中学生の頃から変わらない。もちろんこの場合は良い意味だ。

昔憧れていたロックスターの今の姿は見るに耐えないことも多い。声が出なくなってしまっているシンガーもたくさんいる。だが、浜田省吾はまったく変わらない。31年前に横浜スタジアムで見て以来の彼がそこにいた。

最近でこそ走りながらイヤホンで音楽を聴くのをやめてしまったが、以前はマラソン大会でスタートのときや途中心砕けそうになったときには、「ON THE ROAD」をかけていた。「この道の彼方、約束されたはずの場所があると信じて行きたい。もう一度孤独に火を着けて」、そう彼が耳元で叫ぶ。

ON THE ROAD

もう一度孤独に火を着けて。

父の亡くなった年齢にまた近づく。



ちょうど個人的にも転機を迎えた今年に彼のライブに参加できたことは幸運だ。
迷っている暇なんか無い。選んだ道進む。
ムービースターじゃない。ロックスターでもない。
明日は今日よりも良い日になることを信じている。
I am a Father.
かつて夢見る少年だったこの俺も今ではFather.