2011年2月27日日曜日

夜が夜だったころ

僕らの世界から夜が消えてどのくらいたつだろう。

僕が学生だった20数年前、夜も11時を過ぎると寝る時間だった。もちろん、高校生ぐらいから友人宅に泊まっては深夜を過ぎても話していたり、街を出歩いていたりしたが、それは寝静まった時間に例外的な行動をとることに対する憧れであって、実際、静まり返った街は人が休息をとるためのものだった。

いつからだろう、夜が夜でなくなったのは。

千葉都民と呼ばれる都市でも80年代後半ごろには夜の10時くらいまで開いている書店が出始めた。コンビニだって24時間営業するのがやっと一般的になり始めたころだったので、小さいとはいえ雑誌だけではなく文庫や新書まで買える書店が10時まで開いているというのがうれしくて会社から帰って車で良く行ったものだった。当時から活字中毒だった。だが、わくわくしていたのは夜に本が買えるということではない。むしろこんな夜に書店で立ち読みをしているという「非日常」を味わえるのがうれしかった。

「非日常」が「日常」になるのはそのすぐ後のことだった。

かつて「クロスオーバー11」という番組があった。夜11時から12時までの1時間NHK FMで放送されていた番組だ。NHK FMは12時で放送を終了していたので、まさにその日を締めくくる番組だった。



78年からスタートしたこの番組、僕はおそらくスタート当初から聴いている。10時から放送されていたサウンドストリートからずっとNHK FMにラジオをあわせたままで。

この番組のオープニングは、当時流行し始めていたフュージョン調のサウンドに素敵なナレーションがかぶる。
街も深い眠りに入り、
今日もまた 一日が終わろうとしています。

昼の明かりも闇に消え、
夜の息遣いだけが聞こえてくるようです。

それぞれの想いを乗せて過ぎていくこのひととき。
今日一日のエピローグ、クロスオーバー11
フュージョンはクロスオーバー音楽とも呼ばれていた。ハーモニクスでメロディアスに音を奏でるベースとこのナレーションで、本当に夜の足音が聞こえてくるようだった。

2011年の今、夜は夜でなくなった。コンビニや深夜営業の各種店舗。便利さに慣れてしまってもう離れられないし、それが悪いとは言わない。でも、時に思い出す。夜が夜だったときのことを。

「もうすぐ、時計の針は12時を回ろうとしている。今日と明日が出会う時」だ。もう寝よう。




2011年2月6日日曜日

加害者家族

犯罪には被害者と加害者がいる。もちろんどんな理由があるにせよ加害者は罪を償わなければいけない。加害者家族にその責任の一端があることも多いだろう。

しかし、加害者とともに被害者およびその家族への謝罪を行い罪を償おうとしている加害者家族を社会的に抹殺してしまうのは行き過ぎではないか。

この本ではそのような例が紹介されている。



本書の中でも、加害者の父親が被害者の名前を知らなかった例などをあげており、本当に反省が十文なのか、きちんと事件と向き合っているかなどを厳しく指摘している。栃木リンチ殺人事件などの例では家族が何故犯罪を発見出来なかったのか、阻止できなかったのかを問うている。紹介しきれなかった事例にも無責任な加害者家族が多くいるであろう。

だが、きちんと向き合っている家族まで行き過ぎた社会的制裁を加えるのはどうだろう。行き過ぎた制裁は最近ではネットによる善意もしくは善意を超えた無責任な冷やかしから発生することも多い。メディアスクラムというメディア側の加熱する報道も問題だ。

特に心が痛むのは、どう考えても本人には何の責任もない加害者の子供たちや友人たちだ。日本人が陥りやすい、安定した関係を壊す人を排除する力がここでも働く。

加害者家族に対して他国ではどのように向き合っているのか。米国の例が本書で紹介されている。なんと加害者家族に対して励ます手紙が多く寄せられているという。犯罪は本人とそしてその家族だけでなく、社会や地域の問題という意識があるのだろうか。

事例が多く紹介されるものの、これといった結論や提言はない。ただ、今まであまり知られていなかった加害者家族の実情を知ることが出来るという意味では貴重な一冊。発言する権利さえないのではないかと考えている加害者家族が多いらしいのだが、存在さえ消されてしまっているという状況は健全ではない。被害者家族に対する反省や補償を行っていくことにもプラスになる方向でもっとその存在が見えても良いのではないかと思う。

参照: 少年A -少年A 矯正2500日全記録 & 「少年A」この子を生んで・・・父と母悔恨の手記