2011年1月4日火曜日

I/O

ランニング時の呼吸法で良く言われるのが、吸うよりも吐くことを意識しろということ。

吐かないと吸えない。

実はこのことは前にもこのブログで書いたことがある。

吐いて 吐いて 吐いて 吸う

なんというタイトルだ。もう3年前だから、時効か。タイトルも中の文章もちょっと恥ずかしい。ただ、内容については今も同じことを思っている。

人の話を聞くときなど、質問をするつもりで聞くと良い。質問をするには、その人の話を集中して聞かなければならない。「それは先ほどもお話ししましたが」と回答の際に言われるような恥ずかしいことがあってはならない。「良い質問ですね」で始まったら素直に喜ぼう。このように回答が始まる場合は、本当に良い質問か、回答者が答えるのに窮していて回答を頭で組み立てている時だ。いずれにしてもあなたの質問は話を聞いた上でないと出来ないものであるはずだ。質問じゃなくコメントするのでも良い。

「話を聞く」ということはアウトプットを意識した上でインプットをすることだ。

実はこのアウトプットを意識した上でインプットをするということが外国語学習で重要だ。良く英語学習などで、リスニングやリーディングばかりでなくアウトプットであるスピーキングやライティングを重視すべきだ、日本の英語学習はそこが欠けているなどと言われる。だが、第二言語習得の研究においては必ずしもアウトプットを増やすことが能力の向上に寄与するわけではないことがわかっている。やはりインプット、それも多量のインプットが必要である。ただ、どこぞの教材にあるように、単に流しっぱなしにして浴びているだけでは効果はない。アウトプットする可能性がある状態でインプットすることが必要だとされている。そうすることでインプットの質が高まる。集中して聞くことになるし、わからないものは文脈から推測し補うなどして理解しようとする。実際にアウトプットしても良いし、しなくても良い。

一方、アウトプットのための基礎的な訓練は必要であるが、一昔前に流行ったひたすら単純な文型を単語を置き換えて繰り返すことはさほど効果がないと言われている。言語間の距離のある他言語を発音するための訓練としては意味はあるため、日本人が英語を習得するために基礎訓練として必要なものではあるが、それさえ行えば十分というものではない。

外国語学習の科学」の書評でこの本を勧めておきながら具体的な外国語学習方法については一切触れなかったら、苦情 ;-) が来たので、1つだけ紹介した。これ以外については是非本を読んでみて欲しい。

繰り返しになるが、外国語学習だけじゃなく、すべてのことでアウトプットを意識すること。これお勧め。


2011年1月3日月曜日

外国語学習の科学



外資系人生を歩んでいるのだが、その割にちっとも英語がうまくならない。謙遜しているのではなく、どっかで進歩が止まってしまったようにしか思えない。もしくはモチベーションが維持出来ていない。

外資系に入ったのもの偶然のようなものだから、学生時代などはもっとひどかった。英語教育に力を入れている中高一貫校に入ったので、英語に対する拒否反応こそは無かったものの、実際には文法も語彙数もリスニングもスピーキングもすべて実践にはほど遠かった。

それでもどうにか外資系でクビにならない程度に仕事できているのは、それなりに努力してきたからだ。ずぼらな性格を自分でもわかっているので、英語を聞いて話さなければいけない環境に自分を追い込むことで英語力の向上を目指してきた。週に1回は海外のオフィスとテレコンをやるようにしてみたり。

これは「道具的動機付け」と呼ばれるもので、実利的な目的のために努力することだ。

一方、「統合的動機付け」と呼ばれるものもあり、これはその言語が用いられている文化に対する興味などから外国語学習に取り組むことだ。

このように外国語学習の習得に向けての研究の状況をまとめたのが、「外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か」だ。

この本は言う。「国際的な競争力を強化しなければいけない状況の中で、外国語でのコミュニケーション能力向上というのも戦略的に重要なものである。果たして、国はどの程度それに対して投資を行っているか」と。

たしかに、今の中高での英語教育は私のころと大差ない。私が卒業した学校はネイティブの先生が常にいたし、NHKのラジオ講座などを使ったリスニングとスピーキングの授業なども組み込まれていた。ほかにもこのような取り組みを始めていた学校はいくつもあったことと思う。

だが、それから20年。当時と今とでどの程度日本人の英語力は向上したのだろうか。諸外国と比べてどうか。必ずしも成功しているとは言えないだろう。

これがビジネスだったら、どっかで抜本的な見直しが入っているはずだ。20年も成果のあがらない事業をやり続けるほど悠長な市場はどこにもない。

国際競争力強化と言いながら、そのために一番必要なソフトスキル面の強化を怠っているのではないだろうか。

この本では、第二言語(SLA)習得のための研究が紹介され、そこからわかった現時点でのもっとも効果的な学習方法が解説される。「科学」とタイトルにつけられているだけあり、仮説と実証に基づく科学的なアプローチであり、言われてみると思い当たることも多い。

すでに何人かの人にお勧めしている(で、その人たちは購入しているようだ)が、この本はお勧め。読み物としても面白い。

2011年1月1日土曜日

アスリートと生

ここ1年くらいすっかり走ることに夢中になっている。

走ることが中心の生活とまではいかないけれど、走るための時間を作ること、快適に走ることが生活のかなり重要な位置を占めるようになってきている。

たとえば、好きなお酒は今でも好きで飲むことは飲むのだけれど、以前のように次の日に残るようなことはかなり少なくなっている。特に、金曜日の夜の深酒は避けるようになっている。せっかくの週末を二日酔いで潰すようなことはしたくない。イベント主催者か飲食店経営者かと思うほど、天気も気にするようにもなっている。

なんで走るのか。

そう聞かれても明確に答えられないのだけれど、走っていると気持ち良いからというのは大きな理由の1つだ。走るのはたしかに辛い。だが、体が温まってきてちょうど良いペースになったときは苦しいのだけれど気持ちが良いという不思議な状態になる。これが良く言われるランナーズハイという状態だろうか。確信はできないが、きっとそうだろう。走り終わった後の爽快感も捨てがたい。ジョギングやランニングの本にも良く書いてあるが、人間は基本的に体を動かすこと、汗を流すことを快感に思えるDNAが組み込まれている。それを実感できる。

体との対話が可能になったというのも最近良く思う。体調が悪いとか良いとかというレベルであれば以前から自然に気づいていたが、長距離を走るというのはやはり体への負担が大きい。以前よりももっと体の状態を気にするようになった。良く草食系だとか乙女系とか言われ、全力で否定はするのだが、たしかに風呂で半身浴をしたり、寝る前にストレッチをしてアロマオイルでセルフマッサージをしているような男性は少ないかもしれない。膝を良く故障していたから始めた習慣だが、これがなかなか気持ち良い。

走りにはフィジカルな部分だけではなくメンタルな部分も影響する。自分の心の状態とも以前より向きあうようになった。また、快適な状態で走っているときには走っているということ半ば忘れ、走りながらいろいろと考えを巡らすこともある。一種の自分との対話である。

ここまで自分と対話したことがあったろうか。

いつまでこのマイブーム(死語?)が続くかわからないが、今はすべての人に勧めたい。走ること。体を動かすこと。自分と対話すること。



金哲彦さんというランニング指導者がいる。ランニング本をいくつも書いているので、書店に行けば1冊は彼の本を見つけることができるだろう。私も彼の本はいくつか読ませてもらった。たとえば、「3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから」。これは名著。新書だが、これを読めばランニングの魅力に始まって初心者からある程度の経験者までの的確なアドバイスを得ることができる。

その金氏が実は大腸癌にかかっていたことをつい最近知った。彼が生い立ちから発病、そして闘病から復帰、走ることに対しての思いを書いたのが「走る意味―命を救うランニング」だ。3時間台で完走するマラソン」がちょうど復帰直後に書かれた本だということもこの本から知った。



ランス・アームストロング氏 も癌から生還したアスリートだ。彼は選手として絶頂期を迎えようかとする中、末期の睾丸癌であることが判明する。生存率 20%以下(実は2%以下だったとも言われる)という危機的な状況から奇跡的に生還し、ツール・ド・フランスで優勝する。自身によって書かれた「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」は彼のその復活までの道が自らの言葉で書かれている。原題が「It's Not About the Bike」であるのだが、そのとおりこの本は自転車競技についてが中心ではなく、彼の「生」についての考えが書かれている。2年ほど前に友人のブログで紹介されていてからずっと気になっていたけれど、やっと読むことができた。本当に名著。

Blackcomb (黒こんぶ) の日記 ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

彼が治療を開始したころに多くの人から手紙やメールをもらったが、その1つに次のようなメッセージがあった。
「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ」

何を馬鹿な事をと当然は彼も当初は反発する。だが、生還してからこの意味がわかる。

すべての人は生かされている。生きる意味をそれぞれ持っている。癌との戦いはそれを教えてくれるものだった。

ランス・アームストロング氏が、金氏が何故走るのか。走ることで何を伝えているのか。きっとそれは生きることの意味を考えることと同じだろう。

彼らとは比べるまでもないが、私も昨年に検査で異常が見つかり、一時は(大げさだけど)死が身近に感じられた。だからこそ、彼らの言葉が重く感じられる。生きる意味、忘れないようにしたい。趣味のランニングにしか過ぎないが、それでも自分との対話を始められたことに感謝したい。

コメント

このブログはコメントにHaloscanというものを使っていたのだけれど、昨年にサービスを停止してしまって、引き継がれたサービス提供企業がいろいろな意味でいけていなかったので、コメントをBloggerオリジナルのものに戻しました。

Trackbackが使えなくなったけれど、もうあまりTrackbackの重要性は感じ無くなっているので問題ないでしょう。

それよりも、今までのコメントが私の不注意により消えてしまった。ごめんなさい。