2010年8月18日水曜日

シャッフル

普段、iPhoneで音楽を聴いているのだが、最近はシャッフルして聴いている。プレイリストを作るわけでもなく、iPhoneに入っている曲を全曲そのままシャッフルで再生して聴いている。iPhoneの曲はたまに入れ替えるので、ただでさえ聴くたびに新鮮なのだが、そこに順不同の再生だ。

「この曲の後にこれか?!」
「んー、この組み合わせも良いかも」
などなど、普段気付かなかったような曲の魅力に気づくことも多い。

なんと言っても次の曲の予測が付かないところが良い。目隠しされて愛撫されるような感じか。いや知らないけど。

聴きなれた曲もシャッフルで聴けば新鮮だ。倦怠期を迎えたカップルが刺激を求めて普段と違う順序で試してみるような感じか。いや知らないけど。

実はこのシャッフルでの再生はどっかの誰かが言っていたことを試してみたまでだ。ボケ防止の本だったか、脳の活性化の本だったか、いやこの2つは結局同じだけど、いずれにしろ、その時はピンと来なかった。ちょっとしたはずみでやってみて気に入っている最近のマイブーム(死語?)。しばらく続けてみようっと。

2010年8月14日土曜日

明日死ぬとわかっていて今日一日過ごすのと
知らずにいつもと同じように過ごし明日死ぬのと

どちらが幸せだろう。

余命宣告されるということは、それを受け入れるということは、きっとこういうことだ。

一度、治療法が無い病気で1年にも満たない余命宣告を受けた人は、きっと適切な治療をすれば50%程度は5年生存率がある病気の人などひどく羨ましく思うだろう。

人間いつかは死ぬ。生まれてきてから、死ぬというゴールに向かって生きているという不条理な状況だ。かと言って、常に生きる意味を考えているかというとそんなことはない。日々の忙しさにかまけて、本当にやりたいことやろうと思っていることに手をつけられなかったり、ついつい楽な方に逃げてばかりいたり。

死は隣り合わせ。たとえ、病気で余命宣告をうけていなくてもいつ死ぬかわからない。

Twitterで「死」のことをたまに書いている時期があった。別に死にたいとか思ったわけでもなく、いや逆にそれを恐れているがために、死を意識して書いていた。「こんなことを書くと、心配するでしょ」と言われたこともあるし、もし原因不明の死を遂げた場合に自殺と疑われ生命保険などで揉めるのも嫌だったので、それ以降はほとんど書いていない。だが、寝るときに死のことを考え、恐ろしくなり目が覚めてしまうこともたびたびだ。

しかし、考えてみると、夜寝るときに人は次の日に起きれる保証はどれほどあるだろう。死とはそのようなものか。寝るのを怖がらないように、いつ死ぬかわからない状況でも生きることを怖がらない。日中、街を歩いていて、急に通り魔にあったり、自動車事故に巻き込まれて死んでしまうこともあるだろう。

余命宣告の場合を考えてみても、平均寿命から計算しさえすれば、誰でも余命宣告をうけているようなものだ。僕らはまだそれが20年や30年、いや若い人ならばもっとあるから、あまり意識しない。

だが、これが何年より短くなったら意識するのだろう。10年、5年? たぶん、漠然と5年後に死ぬかもしれませんと言われただけだったら、一瞬は怖くなるかもしれないが、おそらく次の日には忘れるだろう。病気の場合の余命宣告の場合は、確実にそれが足音を立てて近づいてくるからだ。医学書に書いてあるとおり、医者に言われたように、次の段階の症状が自分にもあらわれる。

あぁ、話がまとまらない。

1年も生きられない可能性があった人が、5年生存が可能とわかるだけでそれは計り知れない希望になる。ならば、はじめから、自分があと5年しか生きられないとしたら、3年しか生きられないとしたら、と考えてみたら良いのではないだろうか。

死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた という本がある。まだ読んでいない。だが、最期にあれがしたかった、これもしたかったと後悔はしたくない。また、老いては出来ないようなこともあるだろう。ビジネス的で嫌な響きだが、To Doリストを作り、いつかできるだろうではなく、今やろう。

もう1つ考えることがある。この人とはこれが最後かもしれないと。

「いってらっしゃい」と送り出した彼の姿をその後見れないとしたら。
彼にかけた最後の言葉が、喧嘩していたこともあって、ひどい言葉だったとしたら。
最後だとわかっていたなら - Tommow Never Comes という本を是非読んで欲しい。人に対する対応が変わるはずだ。



いつか人間は死を迎える。悔しいし、怖いが、それは誰も逃れようがない。
友人や知人の中にはそれをすでに自然に受け入れられるように見える人もいる。だが、僕はまだまだだ。

大学のころに朝日ジャーナルに連載されていてリアルタイムで読んでいた千葉敦子さんの「「死への準備」日記」。彼女のように強く、最後まで生をまっとうする生き方をしたい。心の成長もTo Doリストに加えておかなければ。



過去のブログ記事を読み返してみたら、柳美里 命四部作 - 魂、生、声 とかでも同じことを言っている。やれやれ。