2010年1月4日月曜日

いつかパラソルの下で

森絵都さんの作品。

昨年読んだ小説で一番印象に残ったものに、「カラフル」をあげるほど、森絵都さんが最近では気に入っている(2009年 読書感想文リスト)。

いつかパラソルの下で (角川文庫 も 16-5)

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森絵都さんは児童文学がデビューだったこともあるのか、ストーリーテラーとしては本当にうまい。2時間ものの映画になることが想像できるくらいに起承転結がはっきりしているし、各シーンでの見せどころもしっかりしている。文章も難解でなくリズムがある。まるで初めから計算されて作られたようにさえ感じる。

この「いつかパラソルの下で」では、厳格な父親に反抗し家を飛び出していた主人公が、父親が若い女性と関係を持っていたことを父親の死後知り、同じく家を出ていた兄と逆に父親の寵愛を受け加護のもと育った妹と父親のルーツを探る旅に3人兄弟ででかける。

親と自分との関係は、フロイトの言うところの「オイディプスコンプレックス」のような形での複合的な意識からの脱却だけではなく、結局のところ「弱い存在」としての親を知るところから親を理解し、そして独立するのではないかと思うが、この小説の主人公兄弟はそのような機会を得られぬまま父親との別離を迎えてしまう。小説では、結果として、若い女性の登場により、父親の旧友と会うことが出来、さらには生まれ故郷である佐渡を訪れることで、「当たり前の人間」としての親を知ることになる。

この親の「当たり前の人間」としての姿を知ることの機会喪失は現代の家族問題を象徴するようなものかもしれないと読み終えて思った。

子供にとって親は当初神格化された存在である。その神格化された存在を壊すのは、もちろん成長していく子供なのであるが、それに加えて、親の親であったり、親の親戚であったりする。盆暮れに故郷に帰ったときに童心に戻る親を見たり、良い歳をした親を子供扱いする祖父母や親戚を見たり、故郷の風景とともに語られる子供時代のエピソードを聞くことなどで、神格化された親が人間に戻る。

故郷が無くなり、極端に核家族化された現代の家庭では、このような機会が失われつつある。むしろ祖父母にあたる高齢者が働き盛りの親世代に必要以上に謙らざるを得ない状況さえ生じている。もっとも、この小説のように厳格な父親(または母親)というのも珍しい存在になっているのも事実だ。だが、子供にはどこかの段階で今に至るまでの弱いところも、今現在の弱さも見せるべきではないか。

親の行動や教育が子にどのように影響を与え得るかを考えさせる小説ではあるが、森絵都さんはそれを実にハートフルに、またコミカルに描く。ほかの森絵都さんの小説もそうであるが、ハッピーエンディングであることが常に救いだ。Amazonでのレビューとか必ずしも良くないみたいだが、私は嫌いではない。というか、結構好きだ。

参照 - ほかの森絵都さんの作品のレビュー