2009年5月15日金曜日

少年A -少年A 矯正2500日全記録 & 「少年A」この子を生んで・・・父と母悔恨の手記

1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の容疑者が中学生だったというのを聞いたのは、幕張で行われていたコンピュータ関係の展示会の帰りの車の中だったと思う。車の中で聞くラジオから流される警察からの情報は限られていたが、あのような犯行の容疑者が中学生だというその事実には衝撃を受けた。

その少年Aに関しては、少年の父母の告白や被害者の家族の手記、そしてジャーナリストなどによる多くの書籍があるが、少年の父母とジャーナリスト草薙厚子氏による書籍を読んだ。

少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

事件が事件だけにコメントがし辛いのだが、母親の厳しい躾により少年Aの心に与えられた影響が少年Aのパーソナリティ形成に大きく関係しているという定説と、手記の中で少年Aの母親が言う、そのようには思えなかったという正直なコメントとの差が印象的だ。ある行動について、受ける側がまったく違った感情を持っているということは良くあることだが、ここまでギャップがあり、さらには語られているように、これが犯行まで及ばせるルーツだとするならば、普段自分が何気なく発している一言一言や無意識でとっている行動などにもっと慎重になる。それほどまでに、父母の手記と矯正記録の中の少年の姿は異なる。父母が事実を述べていないという可能性もあるが、そうでないとするならば、いかに近しい人であったとしても、その人の心の中を見ることはできないということか。

少年Aに関しては少年法で裁くのではなく、もっと極刑をというような世論もあった。今も彼が日本のどこで何をしているのかを心配する声も多い。本来ならば、このような議論は事件が起きる前にしっかりとなされているべきである。矯正記録には、少年Aを矯正させるという決定がなされたことにより、関係者は過去に前例のない矯正を試行錯誤ながら行ったことが克明に記されている。関係者の中には、そもそもこのような凶悪な犯罪を行ったものを社会復帰させるというプロセスに関わっていること自身の是非を自らに問いかける人もいた。誹謗中傷が関係者や施設に対して行われたこともあるようだ。社会復帰させるということは非常に重いことであるが、このような決定を社会全体が支持できるようになるべきではないかと思う。もちろん、100%の支持というのは難しいと思うが、少年犯罪の場合には常に場当たり的に判断されることが多いように思う。加害者が未成年であり矯正/更生可能であるという前提にたった上で、どこまでどのような事件であれば、社会全体として矯正を支持し、それを行う関係者や施設を支援できるか、そのようなラフコンセンサスが出来ていないと今後も少年犯罪が起きるたびにずっともやもやとした議論が続くのではないかと思う。もちろん、最終的にはケースバイケースでの判断になるとは思うが。

この事件からもう10年以上が経過しているわけであるが、少年犯罪についての報道は「心の闇」などという一言で片付けられるステレオタイプの分析しかなされないことが多いように思われる。少年犯罪が発生する社会と犯行を犯してしまった少年に対峙する社会。結局は元は同じではないか。