2007年3月10日土曜日

ウェブ2.0は夢か現実か?―テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力

ブログの書籍化は、ジャーナリスティックなブログを書いている人にとっては今までの自分の書き溜めたエントリをまとめて人に公開するための有効な手段であるが、そのブログの読者にとってもありがたい。

ネットですべてを無料で公開してしまっていては、有料の書籍を買う人はいなくなるという話もあるが、そんなことはない。人間の所有欲というものはなくなることはないし、なにより今日のコンピュータディスプレイで大量のドキュメントを読むのはつらい。もっとも、若い人は携帯電話で小説を読むのにも抵抗がないようだから、紙を好むのはもしかしたらある年齢以上の層だけの特徴なのかもしれないが。

佐々木俊尚氏は昨年の春までHotWired Japan上でITジャーナルというブログを公開していた。これを書籍化したのが本書だ。

ウェブ2.0は夢か現実か?―テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力
ウェブ2.0は夢か現実か?―テレビ・新聞を呑み込むネットの破壊力


内容はIT業界のさまざまな出来事について筆者の考察を交えて紹介しているものである。筆者の独特の分析は、ほかのメディアで展開されているものとは違う観点からのものが多く、なかなか刺激的だ。また、筆者のジャーナリストとしての活動に対しても大きく影響を与えるウェブの進化に対して正直に書かれているところが好感持てる。

本書は昨年の夏に発売されたものだが、ブログでまず発表されていたこともあり、書かれているものはかなり古くからのものがカバーされている。ドッグイヤーと呼ばれる時代に、古い情報がどれほど役に立つかと思われるかもしれないが、実は時代の流れを知る意味でも面白かったりする。たとえば、「インターネットが取材を変える日」という部分では、取材対象から取材はメールでのみ行い、その過程はすべてネットで公開するならば、取材を受けると言われ、戸惑う筆者の気持ちが書かれている。取材対象からのメールを読んだ筆者は次のように書く。
 一読して、うーんと唸ってしまった。いままで何度もメールで取材を申し込んでいて、このような内容の返信を受け取ったことがなかったからだ。そして今だから正直に打ち明けるが、少し嫌な気持ちになった。
 どうして嫌な気持ちになったのかはよくわからないが、たぶん「取材」という行為のプロセス自体を、公にした経験がなかったからだろう。通常公開されるのは、取材の結果完成した記事だけであって、取材の途中プロセスを公開することはほとんどない。
もっともな感情だ。筆者は冷静に考えた結果、取材過程を公開することを了承し、取材が行われた。これが2002年のことらしい。

さて、それから5年。ネットの住人の間で話題になった毎日新聞の「ネット君臨」。あまりにも一方的と言われてもしかたない毎日新聞の恣意的な取材。それが取材された側がmixiで反論したり、取り上げれた事象を毎日新聞が批判したネットの匿名住人たちが検証したり。そこで問題になったのが、取材の可視化問題だ。これについて本書の筆者、佐々木氏がCNET Japanのブログで検証している。

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題

それに対する毎日新聞の主張も筆者のブログで書かれている。

毎日新聞「ネット君臨」取材班にインタビューした

毎日新聞の取材の是非についてはともかくとして、ここで読み取れるのが、佐々木氏の中の心の動きだ。2002年ではとまどった、取材の可視化について明確な意見を持つようになっている。
マスメディアはどうすれば信頼を維持し、記事の正当性を保ち続けることができるのか。私は、そうした信頼性を支えるのは、取材の可視化しかないのではないかと考えている。取材の可視化というのは、単に取材内容をオープンにしてしまうということではない。取材内容をただオープンにするのではなく、取材する側とされる側が相対化され、同じ土俵の上でそれぞれの意向を交換しあうような土俵を作っていくべきだと考えている。
私もたまにメディアに取材されることがあるが、自分の意図とは違うところが引用されたりして、記事掲載後に反論したくなったことがある。以前ならば、それは不可能であって、メディアが絶対であったが、ブログなどが普及した今なら事情は異なる。個人が力を持った中でのメディアのあり方というのはメディアも考えていかなければならないだろう。

ちょっと話がずれたが、このように筆者自身の心の動きや時代を先取りしたような考えが読めるのも、ブログという時系列の新メディアならではだろう。

関連エントリ

芸術起業論

友人のデザイナーから昨年、村上隆氏のことを聞いた。アート界ではタブー視されているビジネス(=マネー)との関係に正面から取り組んでいる芸術家&起業家だと、その友人は教えてくれた。日本のオタク文化を輸出することで世界から注目されているらしい。テレビ東京のカンブリア宮殿にも出演していたので、知っている人も多いだろう。

芸術起業論
芸術起業論


この「芸術起業論」はその村上氏が持論を展開している本だ。本としての出来は正直あまり良いとは思えない。氏の気合は感じるが、同じような論理が最初から最後まで何回も繰り返されている。氏の米国進出から今に至るまでを時系列に解説し、それに重ねるように、氏が今のように芸術にもビジネスの視点が必要なことを思うにいたった過程を書くほうが数倍良かったろう。

途中、「海洋堂」に等身大フィギュアの製作を依頼し、徹底的にこき下ろされるところなどは臨場感のある展開であり、読み応えもあった。このような流れが全体にあったらと思う。

氏の言う「ブランドを確立するためには、ストーリーが必要である」というのは企業だけでなく個人にとっても当てはまることだ。この点、世界で活躍している氏の発言は説得力がある。

ただ、芸術をここまでビジネスと結びつけることに対する抵抗はやはり強いようで、アマゾンのカスタマーレビューでも賛否両論あった。

氏のことをほとんど知らなかったので、本の最初に掲載されている氏の作品の写真を見るだけでも楽しかったことを加えておく。

2007年3月6日火曜日

ネット王子とケータイ姫―悲劇を防ぐための知恵

本書も「新書365冊」で推奨されていた本の一冊。少し前の新書だが、若年層に対するITの影響の現状が解説されている。

ネット王子とケータイ姫―悲劇を防ぐための知恵
ネット王子とケータイ姫―悲劇を防ぐための知恵


女の子はケータイに、男の子はネットに依存する傾向があるようだが、その理由を本書では「少女たちは自己への不安から関係性を確認するためにケータイに走り、少年たちは世界に特権的な存在として君臨できない失望を埋めるためにネットに走る」と分析している。本書が書かれたのが2004年なので、その傾向が今も続いているのか興味がある。個人的な感触では、少年(男子学生)もケータイに走る傾向が増えているように思う(まったくの個人的な感覚であり、なんらデータはない)が、それは少年も他者との関係性の確認が必要となってきたのだろうか。

本書では、さらにメディアにおける報道の偏向(「学者とメディアを疑え!」)、少年/少女のIT世界との関係(「電脳世界の恐るべき子どもたち」)、教育現場だけでなく業界などをあげての対策(「学校が教えられないネット世界」)が紹介される。取材に基づいた実態が明らかにされており、IT業界にいる身としては興味深い。低年齢層というのは、IT業界からすると、「しばらくすると大人になる世代」ということであまり注目も去れず、その世代に向けたサービスや製品というのが必ずしも充実していないように思う。しかし、単にビジネスとしての観点からだけでない対応を考える必要があるように思う。以前、小学校の情報教育の現場を見たことがあったが、果たしてあれが貴重な小学校の授業の一コマとして使われるに足るものであったかは疑問だった(詳しいことはまた別途)。

ところで、メディアが自分の有利なような情報しか流さなくなる話をサブリミナル効果の話でいつも出てくるコカコーラ実験の話を例にとって解説されている(有名なコカコーラ実験は真実ではなかったという話)。ゲーム脳のケースもそうだったようだ。この場合はそうとばかりは言えないが、このような状況を「カクテルパーティ効果(騒がしいパーティでも好きな人の声や自分に関係のある内容は聞こえ、それ以外の声は騒音にしか聞こえないという現象)」と社会心理学では言うらしい。なるほど。

2007年3月5日月曜日

蹴りたい背中

数年前の芥川賞。やっと読んだ。読後感があまり良くない。主人公の女子高生の口調が誰かと似ている気がするが、そんなことはどうでも良くて、学生時代に読まなくて良かったと思った。なんで? って聞かれても、答えられないが。

蹴りたい背中
蹴りたい背中