2007年10月9日火曜日

大原

昨日、日帰りで京都に行ってきた。京都に行くのは、今年ですでに4回目。本当に今年は京都に行く機会が多い。

昨日は仕事だったのだが、午前中に私の役目は終わったので、午後は行ってみたかった大原へと足を延ばしてみた。

以前、鞍馬比叡山に行ったときにも思ったのだが、京都の中心部からバスで1時間とかからずに、このような場所に来れるとはなんともうらやましい。

大原に来るのは、これが2回目。前回来たのはもう20年以上も前。高校の授業で来た。そのときと同様、まずは三千院を訪れてみた。



高校3年のときに、いわゆる修学旅行でなのだが、私の母校はそれを修学旅行とは呼ばず、『京都教室』と呼んでいた。4~5名でグループを組み、どの寺院仏閣を廻るかを事前に計画し、訪れる予定の場所ごとに担当を決め、きちんと調査を行ってから訪問することを期待されていたのだが、遊びたい盛りの男子高校生にそんな律儀なことできるわけがない(していたグループもあったが)。私のグループも、事前準備は適当に済ませ、当日は勢いで自分たちの決めたコースを廻った。大原には2日目の朝一に来たはずだ。グループに1人写真部の友人がいて、彼が写真を撮ってくれたが、その中の一枚に大原三千院の背の高い木立の隙間から陽が差し込むところを撮ったものがあった。プロが撮ったかと見間違うほどのすばらしさに、東京に戻ってきてから、それを引き伸ばして、額に入れて自室に飾っていた。今回撮った写真に同じように樹木の根元から上を向いて撮ったものが多いのは、彼が撮ったのと同じアングルを探していたからだ。残念ながら、どの場所で撮ったものか見つけることはできなかったが。

三千院も素敵だったが、寂光院もとても気に入った。バス停から三千院の逆方向に20分ほどかかる場所にある。



寂光院は建礼門院徳子が住職を務めたことで有名な尼寺だ。義経ファンの私だが、安徳天皇を亡くした後に入水するも、源氏に身柄を捕らえられ、最後にはこの寺にたどり着く彼女の心情を考えると、思わず切なくなってしまう。平家物語の一節ではないが、諸行無常を感じてしまう。

知らなかったのだが、寂光院は2000年に全焼し、現在は復元されたもの。外見上の歴史的重みは薄れてしまったかもしれないが、なぜか私はそれでもこの寺に心奪われるものがあった。三千院などに比べると、本当に小さい寺なのだが。

ところで、寂光院のホームページ、一見文字に見える部分もすべてGIFイメージで作られている。アクセシビリティもSEOもあったもんじゃない。激しく直したい。

大原のアルバム